大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和49年(オ)1035号 判決

上告人

住友海上火災保険株式会社

右代表者

諸葛義夫

右訴訟代理人

伊達利知

外四名

被上告人

大和ビルサービス株式会社

右代表者

青島文男

右訴訟代理人

隈元孝道

主文

原判決中、上告人敗訴の部分を破棄する。

前項の部分につき、被上告人の控訴を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人伊達利知、同溝呂木商太郎、同伊達昭、同沢田三知夫、奥山剛の上告理由について

原審が適法に確定するところは、(一) 被上告会社は、建物の管理・清掃等を営む会社で、その所有の本件自動車を会社と作業現場との間における作業員の往復や作業用具の運搬に使用し、平常はこれを会社の事務所に設けられている車庫に格納していた、(二) 被上告会社は同族会社で、本件事故の被害者である青島輝和(以下「輝和」という。)は代表取締役の二男であり、取締役に就任しているが、常勤の作業員と同様に現場作業に従事して月給を支給されており、通勤には自己所有の単車を使用している、(三) 輝和は、本件事故発生の前日の午後一一時ころ、被上告会社の従業員大仁秀雄(以下「大仁」という。)とともに本件自動車を使用して作業現場から会社に戻り、近くの飲食店で食事をしたのち、大仁から知人の働いているトルコ風呂に行つてみようと誘われ、みずから本件自動車を運転し、大仁を同乗させて、東京都港区芝の会社を出発して新橋方面に向かつたが、目的のトルコ風呂が見つからなかつたので行先を変更し、輝和の知人がマネジャーをしている五反田方面のトルコ風呂に赴いたが、マネジャーが不在であつたため再度行先を変更して、輝和の自宅に帰る途中で新宿方面のトルコ風呂に立寄るべく引続き運転中、目黒区内で道路工事の標識に衡突し付近に停車中の自動車との接触事故を起こしたことから、大仁に運転を交代してもらつて本件自動車を走行させているうち、翌午前二時三〇分ころ渋谷区代々木付近において、大仁の前方不注視等の過失により本件自動車をガードレールに衝突させる本件事故が発生し、輝和が加療二年以上を要する重傷を負つた、(四) 輝和と大仁とが本件自動車を私用に供するについては、被上告会社の明示の許諾は得ていないけれども、被上告会社においては従業員が本件自動車を私用に供することを固く禁じて管理を厳重にしていたとも認められない、というのであり、原審は、以上の事実関係から、被上告会社は本件事故発生当時なお本件自動車の運行を支配する関係にあつたもので、本件事故により輝和が被つた損害につき自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条による自動車保有者の損害賠償責任を負うべきである旨判示し、本件事故当時被害者である輝和みずからが本件自動車を自己のために運行の用に供していたのであるから被上告会社は輝和に対し損害賠償責任を負わない旨の上告人の抗弁を排斥しているのである。

しかしながら、自賠法三条により自動車保有者が損害賠償責任を負うのは、その自動車の運行によつて「他人」の生命又は身体を害したときであり、ここに「他人」とは、自己のために自動車を運行の用に供する者及び当該自動車の運転者を除くそれ以外の者をいうことは、当裁判所の判例の趣旨とするところである(最高裁昭和三五年(オ)第一四二八号同三七年一二月一四日第二小法廷判決・民集一六巻一二号二四〇七頁、昭和四二年(オ)第八八号同四二年九月二九日第二小法廷判決・裁判集民事八八号六二九頁、昭和四四年(オ)第七二二号同四七年五月三〇日第三小法廷判決・民集二六巻四号八九八頁)。したがつて、被上告会社が輝和に対し自賠法三条による賠償責任を負うかどうかを判断するためには、輝和が右の意味における「他人」にあたるかどうかを検討することが必要である。

そうして、原審確定の上記の事実関係に徴すると、輝和は被上告会社の業務終了後の深夜に本件自動車を業務とは無関係の私用のためみずからが運転者となりこれに大仁を同乗させて数時間にわたつて運転したのであり、本件事故当時の運転者は大仁であるが、この点も、輝和が被上告会社の従業員である大仁に運転を命じたという関係ではなく、輝和みずからが運転中に接触事故を起こしたために、たまたま運転を交代したというにすぎない、というのであつて、この事実よりすれば、輝和は、本件事故当時、本件自動車の運行をみずから支配し、これを私用に供しつつ利益をも享受していたものといわざるをえない。もつとも、原審認定の被上告会社による本件自動車の管理の態様や、輝和の被上告会社における地位・身分等をしんしやくすると、輝和による本件自動車の運行は、必ずしも、その所有者たる被上告会社による運行支配を全面的に排除してされたと解し難いことは、原判決の説示するとおりであるが、そうであるからといつて、輝和の運行供用者たる地位が否定される理由はなく、かえつて、被上告会社による運行支配が間接的、潜在的、抽象的であるのに対し、輝和によるそれは、はるかに直接的、顕在的、具体的であるとさえ解されるのである。

それゆえ、本件事故の被害者である輝和は、他面、本件事故当時において本件自動車を自己のために運行の用に供していた者であり、被害者が加害自動車の運行供用者又は運転者以外の者であるが故に「他人」にあたるとされた当裁判所の前記判例の場合とは事案を異にするうえ、原判示のとおり被上告会社もまたその運行供用者であるというべきものとしても、その具体的運行に対する支配の程度態様において被害者たる輝和のそれが直接的、顕在的、具体的である本件においては、輝和は被上告会社に対し自賠法三条の「他人」であることを主張することは許されないというべきである。

ところが、原審は、上記の事実関係を確定しながら、輝和が自賠法三条の「他人」にあたるか否かについての検討を経ることなく、直ちに被上告会社は輝和に対して同条による損害賠償責任を負うべきものとしているが、この判断は同条の解釈適用を誤つており、その違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

以上のとおりであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れないところ、原審の確定した事実関係に右法令を適用すれば、被上告会社は輝和に対し自賠法三条による損害賠償責任を負うものでないことが明らかで、これと同趣旨の上告人の抗弁は理由があり、したがつて、被上告会社よりその主張の本件保険契約に基づき上告人に対し保険金の支払を求める本訴請求は失当として棄却すべきものである。

よつて、民訴法四〇八条、九六条、八九条に従い裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(坂本吉勝 関根小郷 天野武一 江里口清雄 高辻正己)

上告代理人伊達利知、同溝呂木商太郎、同伊達昭、同沢田三知夫、同奥山剛の上告理由

原判決は自動車損害賠償保障法第三条の解釈を誤り、最高裁判所の判例に牴触し、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背が存する。

一、原判決はその理由第二項において

(一) 訴外青島輝和の受傷の原因である事故が発生した際、本件自動車はその所有者である被上告会社の業務のために運行されていたのではなく、右輝和と訴外大仁秀雄が同人らの私用に供していたものである。

(二) しかしながら本件自動車が右のように輝和らの私用に供されたことは被上告会社の意に反するものではなく、被上告会社は本件事故発生当時なお本件自動車の運行を支配する関係にあつたものである。

と夫々認定している。

原判決の右認定は本件事故時の本件自動車の運行供用者は訴外青島輝和および同大仁秀雄であるが、本件自動車の所有者である被上告会社も運行供用者の地位を喪失して居らないとするものである。

二、原判決は右認定のうえ、

(一) 自動車損害賠償保障法第三条の自動車保有者の損害賠償責任発生の要件としては、事故発生時の当該自動車の運行が保有者になにらかの利益をもたらす性質のものであることは必要ではなく、当該自動車が保有者の管理下にあつて保有者が当該自動車の運行に対する支配を保持している過程において加害の原因たるが事故が発生すれば足りるものと解すべきであるとし、

(二) 被上告会社が損害賠償の責任を負う関係においては

(1) 本件のように、大仁が輝和と交替して本件自動車を運転中に事故を生ぜしめ同乗者輝和が受傷した場合と、

(2) 輝和が運転中に事故を生ぜしめ、大仁が受傷した場合と

(3) 輝和または大仁が運転中に第三者、例えば通行人をして受傷せしめた場合と

区別すべき理由はないと判示している。

三、原判決の右判示は明らかに自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)第三条の解釈を誤つている。

(一) 自賠法第三条にいう自動車交通事故の被害客体である「他人」について、最高裁判所は「他人」とは運行供用者および当該自動車の運転者・運転補助者を除く、それ以外の者をいうとの解釈を示している(最判・昭和四二年九月二九日・判例時報四九七号四一頁、同昭和四七年五月三〇日判例時報六六七号三頁)。

「他人」のなかには運行供用者を含まないとする右最高裁の定義をそのまま本件に適用すれば、被害者輝和は原判決認定のように本件自動車の運行供用者であるから自賠法第三条の「他人」に該当せず、これに対して被上告会社が同法に基く損害賠償責任を負う関係にないこと明らかである。

(二) ところで運行供用者が一名の場合はともかく、運行供用者とされる者が複数おり(共同運行供用者)そのうちのひとりが被害者となつた場合にも、右最高裁の「他人」の定義をそのまま適用することには問題があるとす学説がある。すなわち、「運行供用者というのは自賠法第三条の責任を誰に負わせたらよいかという加害者の責任の面からみた概念であるのに対し、「他人」というのは自賠法の救済をどの範囲の人に認めたらよいのかという被害者の保護の面からみた概念であり、両概念は全く相容れない対立概念ではないから、被害者を共同運行供用者のひとりと認定したうえで、さらに「他人」にあたるかどうかを判定する余地が残つているとするのである。

しかうして右の学説が他人か否かの基準として示すところは、「事故時の運行の、被害共同運行供用者のために供せられた割合が、他方のそれにくらべて、少くとも同程度以上であれば他人の範囲から除外され、それ以外の者は他人として保護される」とか、「被害共同運行者が、当該事故の原因となつた事故自動車の運行に、賠償義務者とされる他の共同運行供用者より一層直接に関与したという場合には、被害共同運行供用者の他人性は阻却されるし、賠償義務者の運行供用者性はその被害者に対する関係において阻却される」というのである。

(三) 共同運行供用者に他人性を認容する右の学説によるとしても、本件事故時の本件自動車の運行は前記原判決認定のように被害者輝和と大仁の私用に供されていたものであるから、被害共同運行供用者である輝和は、賠償義務者とされる他の共同運行供用者である被上告会社との関係では他人性は阻却されることになり、また抑々被上告会社の本件事故時の本件自動車の運行支配は、被上告会社が運行を容認していた輝和の運行支配を介して保持していたものであるから、その輝和の運行によつて生じた本件事故につき被害者となつた輝和は被上告会社に対する関係において他人に該当しないと解するのが相当である。

四、右の次第で、原判決が、前記のとおり、本件事故による輝和の受傷に対して被上告会社が損害賠償の責任を負う関係は、輝和または大仁が運転中に第三者、例えば通行人をして受傷せしめた場合と同様である、即ち輝和は被上告会社に対する関係において自賠法第三条にいう「他人」該当する、と判示しておることは明らかに前記最高裁判所の判例に牴触し、また自賠法第三条の解釈を誤つておるもので、原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背が存するものである。

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